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豊洲年宏さん<東海道を4回にわたって踏破>

北摂甲南会副会長の豊洲年宏さん(経済58年卒)は、平成24年10月23日に4回目の東海道53次踏破を成し遂げた。
 1回目は、甲南大学2回生の夏休み、甲南大学ローバー隊に所属していた豊洲さんは、部員16~17人とともに東京の日本橋から23泊24日で甲南大学まで歩き通した。
 このクラブは探検部や山岳部を合わせたようなアドベンチャーを目的としており、人のやらない事にチャレンジする活動を行っていた。それも単なる無鉄砲な冒険ではなく、周到に計画して行うこととしていた。
 この時は、1年かかりで準備し、人力車を手作りで組み立て、道中で道行く人を乗せ、またテントや炊事用具を積んだリヤカーを牽いて、すべて自炊のテント生活で踏破した。TVの取材を受け、2週連続で特番を組んで放映されたので、覚えている同窓生もおられることと思う。ゴールの甲南大学の正門には何百人という学生、関係者の出迎えを受けた。
 その他、たらい舟を送って四万十川を下ったことや、自転車で富士登山もした。この時はペダルを踏んで大阪を出発し、五合目からは自転車を担いで登って山頂を征服した。
 2回目は甲南大学3回生の春休み、赤穂浪士よろしく江戸城から播州赤穂まで早かごで走破した。この時もローバー隊の部員約15名で、大井川を歩いて渉った。折から赤穂まつりが行われており、赤穂城に到着した時は大歓迎を受けた。有力なスポンサーの接待があり、TVでも大きく取り上げられた。
 3回目は平成23年の11月、30年ぶりに友人2人と決行した。東京日本橋から京都三条大橋まで「おちゃりの旅」と称して交代で一人が歩き、一人が荷物を積んだ自転車に乗り、雨の日も風の日も通しで13泊14日で走破した。江戸時代の旅人もこのくらいの日数で東海道を歩いたが、当時の東海道は熱田―桑名間を船に乗る海路であったが、1回目から4回目まですべて陸路によった。
 そして4回目は本年9月~10月、単独行である。仕事があるので1カ月の間に、途中から列車で大阪に帰り、数日語にまたその地点まで列車で行って続きを歩く方式で、合計19日間で京都三条大橋から東京日本橋まで完歩した。道すがらフェイスブックで発信したので、途中で会いに来てくれる人があったり、やはり話題を呼んだ。到着したのは10月21日日曜日の昼過ぎ、その夜は友人知人が盛大に歓迎会を開いてくれた。
 何故新幹線なら2時間半で到着する東海道を10日も20日もかけて歩くのか、やはり学生時代から身につけたアドベンチャー精神とチャレンジ精神がなさしめての快挙なのであろう。
 豊洲さん在学中の甲南大学は自由闊達でのびのびとした雰囲気があり、自主性を重んじていた。この甲南精神がいつまでも豊洲さんの中で息づいているのである。

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