甲南多士済々
馬場和比古さん
手漉き和紙職人
多士済々一覧
夫婦で守る日本の伝統
馬場 和比古さんは明治初めから続く名塩和紙製造業の4代目。現在、金箔を打ち延ばすのに用いる金箔打原紙を専門に漉き、原紙は石川県金沢市の箔打職人のもとへ送られます。和紙で打たれた金箔は、日光東照宮や中尊寺金堂、西本願寺御影堂等の重要文化財の修復に使われています。
金箔は原紙と金を交互に1800枚重ね、皮で包んでハンマーで打つと熱が出て金が溶け金箔になりますが、泥(地元で採掘される粘土)を混入しているため紙が焼けて破れることはありません。名塩和紙が金箔製造に使われるのは、この耐久性にあるのです。打った後の紙は高級な脂取り紙となり金沢市で販売されています。
紙漉きは10月から翌年の梅雨頃にかけて行われます。冬、底冷えのする漉き場で手先の冷える厳しい作業になりますが、紙質のしまったよい紙が出来るそうです。
紙の良し悪しが金箔の出来に大きく影響するため、厳しい検品を行い、製品化率が50%を切ることもあります。さらに近年、名塩周辺の道路建設や宅地開発の影響で材料の泥や雁皮が手に入りにくくなったり、水質や大気汚染などもあり、名塩和紙の品質に悪影響を与えているのも気にされていました。
紙漉きは泥の入れ加減や、「ねり」(ノリウツギの皮を発酵させて絞った粘液)を合わせられるようになるまで10~20年かかるなど、後継者の育成は簡単なものではなく、今、馬場さんは大変貴重な存在となっています。
「紙漉きは勘による仕事。厚みや泥の量、そしてねり加減を毎日漉き舟に向かって紙と対話しているのです。いつの時代の職人もそうだったと思いますが、この時代に出来る最高のものを、という職人の気概を持ち、伝統的な金箔を微力ですが支えていきたい」と馬場さん。
玄関に「塩峡古来産名紙」と書かれた額がありました。壽岳文章先生の書です。先生は和紙の研究で、和田邦平先生とよく馬場さんの漉き場に訪ねてこられたそうです。昭和58年、名塩和紙は和田先生のご尽力で兵庫県伝統工芸品に指定されました。
馬場さんは、学生時代は映画研究部に所属。その頃、名塩和紙の将来性や一人前の職人になれるかなど随分悩み、また先代には「自分の好きな道を進め」と言われたそうですが、名塩の風土と先人達の情熱から生みだされた箔打紙に魅力を感じ、この道に
趣味はコニー・フランシスなど60年代のアメリカンポップスと読書。読書分野はやはり伝統工芸関係に。伝統工芸はどこも後継者問題で悩んでいますとポツリ。
奥さんはクラブの後輩。現在は子育てを終え、雁皮の「皮むき」や「はきつけ」など下仕事でご主人を支えてくれるありがたい存在です。名塩和紙、いつまでも伝統の和紙作りが続くことを願ってやみません。
(取材 IT推進部 石川晴雄)