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甲南多士済々

小林治夫さん

平野郷の町おこし、新聞屋さん博物館を開く

1.大阪で最古の平野郷

大阪で最も古くから開けた町は平野だった。古くからの町と言えば堺や船場が頭に浮かぶが、それよりも古い歴史を持っている。

平野は河内平野に臨んだ商工の町として開け、平野川の水運に恵まれ、河内木綿の集散地として繁盛した。戦国時代は、自衛のための町の周囲を環濠と土居で囲んだ自治都市として繁昌した。太閤秀吉の大阪城築城の時、多くの商人や職人が城下に移転させられた。市内の平野町の名の起こりはこの平野に由来する。畳屋町は平野の畳職人が集団移転したところ、道頓堀を開いた安井道頓も平野の出身である。

2.平野町ぐるみ博物館

その後、平野は再び繁栄を取戻し、多くの商家や職人が軒を並べた。繁栄と共に文化の交流を呼び、連歌、茶道、能楽などが行われ、学問所も設けられた。

第二次大戦の戦火にも遭わなかったので、聖徳太子の頃に建立され、1661年再建の本堂を持つ全興寺、大阪府下最大の木造築物である大念佛寺などの寺院や古い街並が保存されている。そこでこの町並ぐるみで昔の資料などを展示する15のミニ博物館をまとめて「平野町ぐるみ博物館」として19年前に展示・公開している。ユニークなものとしては染物屋さんの御店主が40年にわたって集めた平野の風物や行事の映像を展示する「平野映像資料館」、手造りの自転車で知られ、世界最大の自転車とギネスに認定された自転車作った「自転車屋さん博物館」など興味深いものが揃っている。

3.小林さんの「新聞屋さん博物館」

平野に棲んで12代を数え、新聞販売店の当主である小林治夫さんは、平野町ぐるみ博物館の一つとして「新聞屋さん博物館」を開いている。

小林さんのご先祖はこの平野で小間物屋を営んでいたが、明治22年から全興寺の隣の商店街の中央で新聞販売店を始めた。朝日新聞の販売店としては、大阪市内では一番古い。建物はモダンなアーチ型の窓がある大正風のレトロな姿、隣の同様のデザインの白い建物の1階に博物館がある。現在の社屋は、地下鉄の平野駅に近いレンガ造りの建物に移ったが、向かい側の保存されている古い味噌屋さんの建物と共に、平野の古い町並みを形造っている。館内は数千点の所蔵コレクションの中から約200点を展示している。

創刊当時の朝日新聞、読者への景品として配られた大正期~昭和初期のカラー印刷の美人絵が描かれたカレンダーをはじめ、第一次大戦当時のヨーロッパ戦局地図、平野著名商店双六、鉄道の割引切符や映画館の入場券など各種のものが読者獲得のために配られていたことが分かる。また日清戦争など当時の号外、店頭ポスター、当時の新聞などの実物がズラリ揃っている。大正期に創刊した当時のアサヒグラフや週刊朝日も目を引く。  新聞少年が着用したハッピや号外を配布した時に鳴らしたリンもある。大正天皇崩御の時、号外を配布するため平日であったが新聞少年を集めておくために本社から販売店に打ってきた至急電報も残っている。

開館日は毎月第4日曜日の11時~17時である。

小林治夫さん

小林さんは甲南在学中、鉄道研究会に所属していた。鉄道マニアにもいろいろな好みがあるが、小林さんは切符の収集、ことに車内補充券といって、改札口を通らないで乗換えたり、乗り越した時に車掌が発行する切符に興味を持っている。以前に鉄研のOBの会合を平野で開き、町並を案内したことがあるという。

新聞屋博物館の開館日には、小林さん自らが解説してくれる。小林さんは、注目される資料として「日露講和に反対したため、大阪朝日新聞が発刊禁止処分を受けた時の資料や、第二次大戦中に戦意を高揚させるポスターが残っており、現在の朝日新聞とは明らかにスタンスが異なっていたことが分かる」と各種の展示物が社会の移り変わりを如実に示していると語っている。観光だけではなく、近・現代史や社会学の研究や卒論作成にも一見の価値がある。(田上綱彦)

小林治夫さん

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