甲南多士済々
DJ MEME(メメ)さん
目標立て実現した夢
多士済々一覧
社会でつながる甲南人脈
プロフィール
- 神戸市生まれ。神戸中華同文学校、御影高校を経て、1992年に甲南大学経営学部卒業。
- 96年からDJ活動を始める。2000年に結婚。08年からは有機素材のドーナツ店「フロレスタ」をトアロードと西神そごうで展開中。現在は、FM COCOLOで活躍中。MEMEの名は中国語で「末娘」「妹」を意味する愛称から。本名は金純(きん・じゅん)
心地よいサウンドに乗って、さわやかなトークをリスナーに届けているFM COCOLO(エフエム・ココロ)のDJ・MEME(メメ)さん。
甲南大学を卒業後、妻、母、そして実業家としても活躍する姿は、多くの女性のあこがれの存在です。
夢実現への歩みや、学生時代の思い出などを語ってもらいました。
どんな子供でしたか
「小さい時から、世界の多くの人と出会い、話したいと思い続けていました。5、6歳の時、アメリカンスクールのバザーで英語が話せずお菓子が買えなかった。くやしくて、母にねだって英語の語学教室に通うほど、何でも自分で見てみたい、やってみたい性格でした。父は大阪で華僑総会の仕事、母はチャイナドレス関係のブティックを経営していましたが、決して頭ごなしに『ノー』と言わず、見守ってくれました。」
学生時代は
「小中高はバスケットボール部一筋だったので、大学では別のことをしたくて、アルバイトでお金を貯めては海外に出ました。預金通帳は「10万-20万-30万-ゼロ」の繰返し。華僑の家なので各地に親戚が多く、アメリカや中国によく行きました。」
キャンパスの思い出は
「甲南での日々は『ぬるま湯』のような世界でした。ちょうどいい温度で、気持ちよくて、ずっと浸っていたい。そんな感じ。いろんな意味で極端でない、中庸さ。そんな居心地のよさが好きでした。経営学部だったので男子とのつながりも多く、甲南で培った友情は今も大切に続いています。同窓生には会社の経営者が多く、社会に出てから、甲南の人脈がパズルのようにつながっています。」
DJになった経緯は
「就職活動ではマスコミばかり受けましたが、だめだったので、アパレルの商社や、中国総領事館などで働きました。1994年に渡米し、翌年の阪神・淡路大震災後に帰国して仕事を探していたら、たまたま知り合った人の縁で、FM COCOLOから声がかかったんです。ラッキーなことが続き、その1ヵ月後には、もう自分の番組が始まっていたんです。」
夢がかないましたね
「26歳の春。多くの人と話したい、マスコミで働きたいという夢がかないました。アナウンス学校に行かず、事務所にも所属しない、まったくの素人だったのに、コミュニティーFMのブームもあって仕事場は広がりました。出産で1年休んだ以外、周囲に支えられてずっとDJを続けてこられました。」
妻、母、DJ、実業家 その活力はどこからくるのですか
「若い時から人生を5年ごとに区切り、目標を立ててきました。35歳の時に思い描いた40歳の自分は『ラジオ以外に、何かビジネスを始めたい』で、それもドーナツ店経営で実現しました。今の目標は45歳の自分。漠然としているけれど、しなやかな女性でありたい。人に優しく、地球に優しく。周囲を見渡せて、何でもきちっとできる女性でありたい。いつも笑顔でいたい。自分の言葉に責任を持ち、多くの人に出会い、話し続けていきたいですね。」
(聞き手・石川晴雄=S48経、冨居雅人=S62文)